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てんのうじペット斎場は泰聖寺境内にあり、ペットの火葬は勿論のこと葬儀、
法要、埋葬等ペット供養全般に関して承ることができます。
火葬後は法要、供養祭等を定期的に開催し手厚くペット供養を執り行うことができます。

銀龍山 泰聖寺縁起

銀龍山 泰聖寺縁起

当山は、宝暦五年(1755)証空哲山上人による創建以来、山城(京都府長岡京市)柳谷観音大阪霊場として信を集めました。境内に湧出する「金龍水」「銀龍水」は大阪七名水として知られるのみならず「眼病にご利益あり」という評判が高く、また「明治天皇御用水」の栄を授かるに至り注目を集めました。 また茶道の水としても名高く、茶人・風流人が心寄せるほどの水でした。このことから当山の山号を「銀龍山」と名付けました。

のちに当寺は太平洋戦争で戦災に遭い、堂宇全てを焼失しましたが、戦後、柳谷観音「楊谷寺」より「十一面千手千眼観世音菩薩」を拝領し、本尊として安置し奉り、柳谷観音大阪別院として再出発、信仰道場として現在に至ります。
当山ご縁日は毎月二十一日(お大師さん)で、柳谷観音の信者がお参りになり、眼病諸病平癒のご祈祷をし、柳谷観音独特の百万遍念仏勤行式を唱えあげ、平和安穏、諸願成就を願いつつ、先祖供養、念仏三昧の一日を過し、観音様の慈悲の心に浸ります。

境内マップ

境内マップ
  • 1.本堂

    1.本堂

  • 1.本堂内

    1.本堂内

  • 2.火葬棟

    2.火葬棟

  • 3.動物供養塔

    3.動物供養塔

  • 4.復活金龍大神水

    4.復活金龍大神水

  • 5.眼力稲荷大明神

    5.眼力稲荷大明神

  • 6.山門

    6.山門

  • 7.南無観音菩薩

    7.南無観音菩薩

  • 8.不動明王

    8.不動明王

  • 9.霊園

    9.霊園

  • 10.墓地、ペット管理事務所

    11.墓地
    ペット管理事務所

  • 11.お別れ室

    12.お別れ室

  • 13.釈迦納骨堂

西山浄土宗 柳谷観音
大阪別院 銀龍山 泰聖寺沿革

宝暦五年(1755年)

証空哲山上人の創建。〈八代将軍徳川吉宗実弟〉

「増脩改正摂州大阪地図」(1806年)に『泰聖寺』の記載あり

金龍清水(寛政8年・1796年)

「・・・泰聖寺の内にあり 清泉にして甘味なり尤猥に汲むことを許さず四方の好土等寺僧に因みを結ひてこれを求む。七名泉の~なるべし金龍大神水と稱す」(摂津名所図会大成より)

金龍水(天王寺七名水のひとつ)

山城柳谷観世音菩薩の碑(明治二十八年建立)

坂田三吉ゆかりの百度石(明治三十九年建立)

昭和二十年三月十四日戦災により堂宇消失

眼力稲荷大明神
(通称ガンリキさん)
~泰聖寺のパワースポット~

眼力稲荷大明神

古来、当山の鎮守の神様である眼力稲荷大明神は、学問に霊験あらたかなりと伝えられ、特に復活、復興、先見の明、「心眼、こころの眼」を授けてくださると云われております。

眼力とは、我々は激動の世に生きていますが、素直な心を持ったすべての人々に最善の方向を指し示す力であります。
人生の選択をせまられたとき、学業や仕事上などでどちらの方向に進めば良いか迷ったとき、復活を眼力稲荷に心からお祈りすれば先見の明、心眼、智慧が良き方向を指し示されましょう。《作法二礼二拍手一礼》

復活金龍大神水
(天王寺七名水のひとつ)

復活金龍大神水(天王寺七名水のひとつ)

摂津名所図会大成(寛政8年1796年)『金龍清水縁起』より
「泰聖寺の内にあり。清泉にして甘味なり。尤猥に汲むことを許さず四方の好土等寺僧に囲みを結びて、これを求む。
七名泉の~なるべし金龍大神水と稱す。」。

天王寺七名水の歴史

上町台地は、生駒山からの伏流水が地下を通り、良質な井戸水に恵まれた地です。大坂の町がたびたび飲料水不足に悩まされていた時代も、豊富な水が人々の生活を救いました。特に重宝されていたのが、「天王寺七名水」「逢坂清水」と名高い各井泉。天王寺七名水は、金龍、有栖、増井、安井、玉手、亀井、逢坂、の七つの井戸を指します。

残念ながら現在は、金龍と亀井の水を残して枯れ果ててしまいましたが、地域の人々の協力を得て、井戸枠などを残しているものもあります。

「玉出の滝」と「愛染清水」については、天王寺七名水には数えられませんが、今現在も水が湧いています。 有栖の清水北方に建つ泰聖寺の境内には、水質佳良清冽比類ないと賞賛された「金龍の水」が湧き出ていました。ほのかな甘味を帯びた良質の水は、茶の湯として賞味され、奥庭には茶室がしつらえてあったといいます。

また、泰聖寺は眼病回復で知られる柳谷観音の分霊所で、金龍の水で目を洗うと効能があるとの信仰がありました。長い間断水していましたが、現在は復活しています。

また、明治天皇が行幸されたとき、御用水として献上されたほどの名水でありました。
みだりに汲むことが出来なかったので船場の豪商らは檀家でもないのに寺を訪れ、建碑したりして寺僧のご機嫌を取ったと云います。